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サイエンスメディアな日々   インフォグラフィクスな日々

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未来のインタフェースはどうあるべきか:Bret Victor氏の不満(その2)

http://worrydream.com/ABriefRantOnTheFutureOfInteractionDesign/
その1から続く>
手の2つの機能---触ることと操作すること---を使うことが、人間とコンピュータのインタフェースの本質である、と主張するBret Victor氏は、現在もっとも先進的で広く受け入れられているiPadをとりあげて、次のように評価する。

iPadを触っても)ただガラスのように感じるだけだ。やろうとしていることと、触って感じることは何も関係がない。私はこれを、「ガラス越しの絵 (Pictures Under Glass)」と呼んでいる。「ガラス越しの絵」は手を使うことによる触覚の豊かさを犠牲にした、いんちきの作り物でしかない。
視覚を優先し触覚を犠牲にするのは間違った考えなのだ。例えば、目をつぶって靴紐を結んでみて欲しい。問題なくできるだろう。(略)私たちが手を使う時は、触覚が主役であり、視覚はそれを助けているにすぎない。「ガラス越しの絵」が未来のインタラクションだと言う考えは、白黒写真が未来の写真だ、と言うようなものだ。明らかに発展途上の技術であり、早く先に進むべきだ。

私たちの手は、ボタンを押したりものを動かしたりする(操作)と同時に、それらがどのような状態にあるかも同時に感じる(触覚)ことができる、優れたツールなのだ。
Victor氏は、重層的な感覚を使う、新しいインタフェースの開発を目指せ、と言う。

テクノロジーは突然現れるものではない。革新的なテクノロジーは長い研究を経て現れる、その研究は触発された人々によって行われるものだ。私が言いたいのは、まだ利用されていない人間の能力を使うべきであり、昨日のテクノロジーを外挿し、人々を不自由にすることはやめるべきだ、と言うことだ。見て、触って、操作することができる、ダイナミックなメディアをなぜ目指さないのか。

目指すべきメディアとはどういうものなのか。Victor氏が挙げるのは、ハプティックタンジブル動的ディスプレイ、等だ。これらの発想は新しいものではないが、未だに、中途半端な技術のままだと言う。だからこそ、触発される新しい技術を追い求めてほしい、とVictor氏は言う。今使われているiPadの原型がアラン・ケイが1968年に描いた一枚のスケッチから始まったことを引きあいにして。

アップル社でインタラクション・デザインを手がけてきたVictor氏ならではの含蓄のある主張は、多くの人を触発するだろう。細々と技術開発が進められてきた触覚を使ったインタフェースが、そろそろ世の中の表舞台に立つ時代が来たのかもしれない。試行錯誤しながら、いずれ正しい道を見つけて進んで行けることも、人間の素晴らしい能力なのだ。
http://worrydream.com/ABriefRantOnTheFutureOfInteractionDesign/

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