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理不尽さを受け入れることの無意味さ〜日大アメフト部の「大麻事件」に思うこと

日本大学アメリカンフットボール部でおきた「大麻事件」。関東学生アメリカンフットボール連盟が下した判断は「当面の間の出場資格の停止」。その理由として、「逮捕された部員以外に違法薬物を使用したものが存在している疑いが払拭できないこと」という。


しかし、それはどうなのか。グレーだから処分するのが許されるなら、どこの部も、あらゆる組織も処分できてしまうのではないか。


もし他にも大麻を吸っていた学生がいるなら、その学生を特定して個人として処分すればいい(処分の重さは別な問題としてあるが、そのことは今はふれない)。


「チームメートが大麻を吸っているのを知っていたが見て見ぬふりをした」ということがあったとしても、部全体の出場停止は重すぎる。処分が必要としても犯した間違いにみあった処分を与えるべきだ。そもそも、「傍観の罪」を堂々と非難できる大人はいったいどれくらいいるのか、という疑問もある。


何よりうったえたいのは、真面目にやってきた学生のこれまでの努力が無に帰してしまうことをどう考えるのか、ということだ。真面目にやってきた学生にとって、こんなに理不尽なことはないと思うのだが。真面目な学生は、真面目が故にそのような理不尽も受け入れようとするだろう。だから代わりに声をあげたくなるのだ。


理不尽な「連帯責任」を負わされて一度しかない青春時代を不完全燃焼で終わってしまった若者は、その事件から何を学ぶのだろう。「努力は報われない」「権力に逆らっても無意味」「他人を信じてはいけない」「一人のほうがいい」…。そんな「負の教訓」を心の奥底にかかえたまま社会人になっていくんだとしたら、それこそその原因を作った人たちに責任を問いたい。


個人の自立を育むことなく、理不尽も受け入れろ、という「教育」が、この国を没落させてきたのではないだろうか、とさえ思うのだ。

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