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サイエンスメディアな日々   インフォグラフィクスな日々

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可視化について思うこと

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このブログを始めてもう7年目。今まで年間100本は投稿してきたが、実はこの半年はあまり書かなかった。忙しくなったというわけでもないし、書きたくなかったというほど嫌になったのでもない。ただ、書くという行為にむかわせるほどのモチベーションがわかなかった、ということだろう。もともと誰に強制されるわけでもなくやっているブログだから、自分の興味がそこにむかなければ書く理由がない。

 

けっこう早くから、データの可視化やインフォグラフィクスについてとりあげてきたという自負はある。当初は、この分野は国内にほとんど情報はなかったし、海外の事例を紹介するサイトも少なかった。でも今や、可視化は当たり前、とは言わないまでも多くの人が知るところとなり、データ・サイエンスやデータ・ジャーナリズムも含めて、社会の新たなトレンドになりつつある(と思う)。

 

僕がデータの可視化に興味をもったその根本には、R.S.ワーマンが約30年前に述べた「情報の理解」ビジネスへの提言がある。ワーマンは、情報をあつかうビジネスには、情報の伝達、情報の保存、そして情報の理解の3種類があると言った。最初の2つーーーーー情報の伝達と保存ーーーーーのビジネスはすでに成熟の域に達している。たとえば大手の通信キャリヤやネットワーク、データセンターといった巨大な企業たちは、現代の重要なインフラになった。しかし、最後の「情報の理解」はまだ未成熟で、大手の企業どころか、方法論さえ確立していない。これからのビジネスのターゲットはここにある、というような主旨をワーマンは著書「情報選択の時代」で述べた。(ちなみにこの本の訳者は、松岡正剛。)

 

ワーマンのこの指摘は、著作から30年経った今でも古びていない。「情報の理解」ビジネスはいまもなお未成熟だ。そして、それを解決する重要なツールのひとつが可視化だ、と僕は思っている。

 

しかし同時に、「情報の理解」にたずさわるには、自分自身の知識や経験が不足していることも感じていた。明確な戦略があったわけではないが、この6年間に行なってきた仕事、たとえば、科学技術振興機構JST)のサイエンスニュースの制作や、WIREDの記事の執筆・翻訳も、大きな意味では「『情報の理解』を理解する」行為だったのかもしれない。そして、このブログは、自分自身の興味や関心を他のどのメディアよりもストレートに表現できるという点で、自分にとってはもっとも重要な「メディア」だったと思う。

 

そして逆に、知識や経験がある程度蓄積されたらこそ、ある種の「行き詰まり」を感じ始めた。ちょっと珍しいデータを美しいデザインで「見える化」できたとしても、「情報の理解」にはほど遠い。それは「面白い」し、ちょっとした話題になるかもしれないが、世の中のほんとうの問題を解決しているのだろうか?社会をより良いものにしているのだろうか?

 

可視化という方向性は間違っていない。けれども、何かが足らない。もしかしたら世の中の方がまだ追いついていないだけなのかもしれないが、もしそうだとしたら、やはり世の中を「より良い」方向に変える必要がある。そのための可視化でなければならない。

 

ではこれから、どうすればよいのだろうか。率直に言って、明確な解決策はまだもっていないが、もしかしたらキーワードになるかもしれないと思うのが、「協働」と「研究」だ。

 

「協働」は、今の言葉で言うとコラボやシェアということ。情報は元来、ある人・ある組織だけにとどまるものではない。情報は本質的に拡散したがっている。それを無理やり押さえ込んでいるのが現代社会のしくみなのだ。だから、可視化はその情報がもともともっているエネルギーを解放するものでなければならない。これが「オープン」の基盤になければならない。

このことを実現するには、情報をあつかう人間自身もまた「オープン」にならなければいけないと思う。一方でものごとを隠しながら、他方でコラボやシェアをうたっても、すぐに嘘だと見ぬかれてしまうだろう。情報をオープンにすることに抵抗があるとすれば、今までのクローズドなシステムにあまりにも慣れすぎたからだけかもしれない。それくらい根本から疑ってもいい。たとえば著作権。それに既得権益とよばれるもののすべて。それらは最終的に行き着くべき、ベストな解なのだろうか? 僕自身もわかい頃はバカにしていた、古い時代の近所づきあいのような関係が、ビジネスの中にあってもいいはずだ。

 

もうひとつの「研究」は少し堅苦しい印象もあるが、平たく言えば「調べて、試行錯誤して、よりよいものを作る」ということだ。なにをやるにしても当たり前の行為だと思うが、このあたり前のことがだんだんおろそかになっているような気がしてならない。自分は手を汚さずに、誰かが苦労して得た成果をほぼそのまま使って小金を儲ける。そんな行為が「良いビジネス」だと信じている人が多くなったのではないか。先に述べた「協働」の前提条件は、自分自身が何か与えられるものを持っていることだと思う。他の人に何かを与えられる、ということがあってはじめて、他の人が自分がもっていないものを与えてくれる。そのためには、各人が自分自身で苦労しながら「研究」をおこなって、与える価値のあるものを自分の手に持たなければならない。

 

「情報の理解」ビジネスの姿はまだ見えないが、これからも追いかけ続けたい。その中で、「協働」と「研究」、この2つのキーワードはよい指針になるかもしれない。そう書きながら、その活動の一環としてこのブログも意味があるかもしれない、という気持ちになってきた。しばらくペースダウンしていたブログだが、もっと素直に、ストレートに、でも今までと変わらず気軽に、もう少し続けてみよう。

 

 

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